“疫病神”と言われると、“神”という言葉がついているので、どうしても“得体のしれないもの”“抗えないもの”というイメージを抱くんじゃないかと思います。
しかし、疫病神というのは“神”という言葉がついているが故に、“何か神秘的なもの”“人間の範疇でははかれないもの”というイメージを持ちますが、実際、何のことを言ってるのかというと、“人間”のことを言っているのです。
では、その“人間”というのはどういった人間なのでしょうか。
結論から言ってしまえば、“そういった人間”というのは、“気づけていない人間”です。
私たちが普段使う疫病神というのは、たとえばAという人がいたとして、その人がいるとなぜか揉め事やトラブルが起きるという共通認識があったときに、Aさんに対して“疫病神”という“レッテル”を貼ります。
では、その揉め事やトラブルはなぜ起きると思いますか?
その答えは、Aさんという人間が“悪いカルマ”を解消できないがためなのです。
悪いカルマというのは、負の連鎖によってどんどん周りに伝染していきます。自分のところで悪いカルマを断ち切ることができなければ、まるでウィルスが伝染していくように、どんどん増幅していってしまうのです。
そのウィルスに打ち勝つワクチンは何かというと、これまで何度も何度もお伝えしてきた“気づき”なのです。
気づきとは何かといえば、自分の性格、自分という人間の欠点に気づいて直していくこと。自分の中に負のものがあると、それは少なからず周りの人に伝染し、影響を及ぼします。
その、自分の性格の欠点に気づくことができずに、負のカルマを持って周囲に伝染させてしまう人というのが、“疫病神”と言われる人なのです。そういうことを考えますと、昔の人というのは、感覚的にカルマというものを、実社会において感じることができていたんじゃないのだろうかと思います。
こうしたことからもわかるように、疫病神というのは“神”ではなく、“悪いカルマを解消できていない人”がもたらす負のカルマの連鎖なのです。つまり、自分の心の持ちようで、「悪いカルマを解消しよう」と思うかどうかによるのです。
“疫病神”というレッテルを一度貼られてしまうと、負の連鎖によってどんどん「自分は疫病神なんじゃないか…」という、負い目が出てきてしまいます。そうなってしまうと、コミュニケーションをうまく取ることができなくなったり、自分で自分のことを必要以上に追い詰めてしまったりして、ますます悪いカルマの負の連載にはまっていってしまいます。
そこから抜け出すために、“気づき”が必要になるのです。耳にたんこぶができるほどこれまでお伝えしてきましたが、“気づき”というのは幸せになれる魔法でも薬でもなく、自分の余計なプライドや自信を捨てて、まっさらな自分を有りのままに見たときに見える、妥協してはいけない自分の“落ち度”“欠点”を反省して直すことです。
これができれば、疫病神どころか、逆に幸せを周りに伝播させることができます。こうした流れを人間が相互に作っていけることを、私はずっと望んでいるのです。
そのためには、いろんな情報を読書や映画鑑賞、音楽鑑賞…etcから入れて、相対的な正しい判断力を身につけなければなりません。判断力というのは、たくさんの知識を吸収して自分の中で考えることによって、徐々に養われていきます。
ですから、どんなに歳を取っても、自分で考えることを止めなければ、人間としての成長(つまりカルマの解消)が留まることはありませんし、それこそが人生の目的、私たち人間が神から求められている“生きる道”なのです。
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