人は人との関わり合う〝人間関係〟の中で生きています。家族、夫婦、兄弟、親類、友人、職場など、さまざまな〝人間関係〟がありますが、人と良好な絆を築くことは、幸せな人生を送る最も大事な要素のひとつであるのです。
たとえば夫婦、兄弟、親類間の関係が悪いと〝私生活〟が悲惨なものになりますし、友人やご近所さん、または職場の同僚との関係が悪いと〝社会生活〟に支障をきたします。この世に生を受けた私たちは例外なく過去世からのカルマを背負っていますから、人生には誰にでもつらく苦しい出来事、つまり〝試練〟がいくつも待ち受けています。そういった〝試練〟に遭遇したとき、支え励ましてくれる人がいることは何よりの力になりますし、嬉しく楽しく幸せなことを分かち合える人がいると、その幸福感は何倍にもなります。お互いに信頼して、相手を思いやり愛し愛される〝人間関係〟は、幸せに人生を送るためにとても大切なものなのです。
〝縁〟というものがあります。人と人とのつながりを表す言葉です。先ほども述べた家族、夫婦、兄弟、親類、友人、同僚などが〝縁〟の代表ですが、深いレベルからいえば、これは過去世から抱えた〝カルマ〟が〝縁〟となって現れているのです。
つまり、〝縁〟も〝カルマ〟と同様に良し悪しがあり、〝よい縁〟は過去世から引き継いだ財産で、〝悪い縁〟はまだ解消できていない、解消するべき〝カルマの現れ〟といえるのです。
私の元に相談にいらっしゃる方の話を聞いていると、〝縁〟の良し悪しを見極めることができず、よい縁を見逃して悪い縁を野放しにしてしまったために、〝カルマ〟を積み増して、不幸な状況に陥ってしまっている方を見受けることがあります。
わかりやすい事例にこういった話があります。おそらくいま現在は60歳前半の女性です。
彼女はご近所との関係が悪く、蚊帳の外にされているという悩みを私に相談してきました。彼女を透視してみると、彼女は強情で他者への配慮のない「我」の強い性格の持ち主であることがわかってきました。
彼女はご近所さんとの間で起こったいくつかのトラブルの事例を話してくれました。どれも珍しいことではない、よくある話です。ゴミ出しのマナーや町内清掃の当番といった、トラブルの行き違いには関係者全員に改善点があるような本当に些細なことですが、彼女はすべてにおいて自己を正当化していて、自らの非を少しも省みるようなことをしないのです。トラブルの責任を明確に誰かに押しつけて糾弾するのです。
そういう彼女の性格や思考をたしなめてくれる人も周りにはいたようですが、彼女は「私が悪いわけがない」「誰もわかってくれない」と聞く耳を持ちませんでした。
私も彼女に「自らの非を受け入れない、無反省という悪癖」への〝気づき〟とその反省を促しましたが、彼女は「でも、でも、だって」と、自らの正当性ばかりを主張し、それで面会は終わりました。
彼女が過去世から抱えている「我」の強さは今生でもトラブルの元になっていて、そのカルマを解消するきっかけを示唆してくれた人との縁を、彼女は〝良縁〟 と気づくことができず自ら摘み取ってしまい、よい縁をつなぐことができませんでした。そして悪いことには、トラブルの元になる悪縁ばかりを芽吹かせてしまっているのです。この悪縁の芽はいつしか花が咲いて、種を蒔き、さらなる悪縁を呼び寄せることでしょう。カルマは積み増すばかりなのです。
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