今回は、人の使命とはなにか、生きる意味についてお話ししたいと思います。少し複雑な話になりますので、まずはその前提として、“輪廻転生”と“カルマ”についてご説明いたします。長い話になりますが、慌てずゆっくりと理解を進めながらご覧になってください。
【輪廻転生について】
まず、“輪廻転生”ですが、これは言わずと知れた“生まれ変わり”のこと示します。この世に誕生するということは、輪廻転生によって何度もくり返される修行のことを指しています。
数多くの相談を受けていますと、いつも同じ夢を見ると相談にこられる方がいらっしゃいます。そういった方の場合、透視をしてその理由を探り出すのですが、多くの場合が前世との関係によって、同じ夢をくり返し見ているのです。つまり、前世の思いが心の奥底に残っていて、夢となって現世に影響を与えているのです。
それから、夢とは別に、なにかに強いこだわりを見せる方にも同じことがいえる場合があります。
たとえば、電車に並々ならぬ関心を寄せる人が、前世では鉄道に関係するお仕事をされていたり、異常に水を恐れる人が、過去(前世)に水難に遭われていたり……etc.
このことからも、現世は過去に大きく影響を受けているともいえます。人の一生は今ある命がすべてではなく、前世から現世、そして来世へと、輪廻転生によって繋がるひとつの命なんです。たとえ、前世の記憶が残っていなかったとしても、それは誰しも変わることはありません。
先ほど申しましたとおり、私は神様から授かったご利益、透視能力を使って、たくさんの方の相談を受けてまいりました。透視をすることによって人々の悩みの根源を見つけ出し、苦しみから抜け出すお手伝いになれればと思って、このご利益を使わせていただいております。
こういった仕事をしていますと、私のことを特別な人間だと考える方が少なからずいらっしゃいます。確かに、一般的ではない能力だということは事実ですが、そうした考え方に私は違和感を感じています。
世の中には本当にたくさんの仕事があります。挙げていけばきりがないほど、この世の中には職業が存在します。しかし残念なことに、「医者だから偉い」とか、「フリーターはダメだ」という声は後を絶ちません。つまり、職業による差別です。
では、そもそも人が職業を選ぶとはいったいどういうことなのでしょうか。
もちろん、「給料がいい」とか「この業界で働きたい」という気持ちからその職業を選んだり、家業を継いだりなど、人それぞれに経緯は違います。けれども、ひとりの人間がある職に就くということ、それ自体が“選ばれて”その職に就いているということなのです。
つまり、多少の自分の希望なども関係してきますが、基本的には、前世も含めた大きな流れの中で必然的にその職に選ばれたということです。では、なんのために選ばれたかといいますと、これは前世の業を懺悔するため、つまり“お役目”を果たすがために選ばれているのです。
ですから、先ほどのように、「医者だから」とか「フリーターだから」という職業の貴賎をなくして、人がみな背負っているもの、カルマの解消のために選ばれたということを忘れてはいけません。私の授かった透視能力にしても別にすごくもなんともなく、お役目を果たすというその目的のためだけに、神様よりいただいたものです。
いつもお話ししていますが、この世に存在するということは前世で清算できなかったカルマがあるということです。つまり、私を含め、今を生きるすべての人間は“罪”を持って生まれてきているのです。
【カルマについて】
前項では、今を生きるすべての者が、前世のカルマを引き継いで、生まれ変わってきたことをお話しいたしました。そして、これもおなじみの言葉ですが、私たちは悩みや挫折、逆境などの与えられた苦しみを乗り越えて、カルマを解消するために日々の生活を送っています。
あくまで例え話ですが、救いようのないほど自堕落な生活をする人がいたとします。類は友を呼ぶものなので、必然的に似たような価値観や生き方をする人間が周囲に集まってくることは避けられません。そうなってくると、その人物は周りを見て「あの人も同じだから大丈夫」と環境に甘え、自堕落な生活はエスカレートしていきます。よしんば、心機一転やり直そうとしても、周りからのやっかみや邪魔をされ、なかなかその場所から抜け出すことができなくなってきます。
そのうちに、「どうせ自分なんか……」と諦めてしまい、自暴自棄な生活をくり返すようになってしまいます。つまり、悪いカルマが悪いカルマを呼び、新たなカルマを作り出してしまうのです。
みなさん、カルマは前世に起因するものとお考えではないですか? ここがたいへん重要なポイントなのですが、厳密にいうと、「カルマ=前世」だけではありません。
確かに、カルマは前世の自分の“行為”を起因として、過去から今へ延々と繋がるものです。しかし、それは今のこの現世でも、私たちの隣でじっとこちらを見張っています。そして、その目からはどんな手法を持ってしても、逃げることができません。どこまでもずっと私たちの隣についてくるものなのです。
別の言い方をすれば、カルマと人間は表裏一体。人間自身がカルマだということができるのです。だからこそ、いまのこの世での私たちの言動や私たちの身に起こる災難、または幸福は、すべてカルマに起因するのです。カルマとは常に自分について回る影のような存在だということを忘れてはならないのです。
そうすると、今度は別の疑問が頭に浮かんでくると思います。
「悪いカルマの解消が人生の目的だというが、この世には完璧な人間など存在しない。それはつまり、人間は永遠に解脱することができず、輪廻転生から逃れることができないということを意味するのではないか?」
実際にこれを私に問われた男性がおりますが、先を鋭く見据えた、たいへん素晴らしい考えだと思います。事実、その男性が言うとおり、輪廻転生はほぼ永遠に続くといって差し支えありません。魂によっては、何百回も、何千回もくり返すものですから、それはすでに人知を超えた時の長さが必要だといえるのです。
ただし、生まれてきたのは悪いカルマの解消が目的ですので、私たちはけっして終わりのない旅の途上にいるわけではないのです。すべてのカルマを解消することさえできれば、輪廻の輪から抜け出すことは可能です。ただ、それがあまりに膨大な、もはや時間という概念すら消えてしまうほどの、途方もない時が必要となってくるのです。
【使命とはなにか 生きる意味について】
それでは、本題に入ります。輪廻転生、そしてカルマというものをふまえてじっくりと考えてみましょう。
人は生まれながらにして“罪”、つまり、悪いカルマを持ってこの世に生まれます。そして、その悪いカルマを解消するためにこの世に生かされており、悪いカルマを解消しきれずに最後の時を迎えると、輪廻転生の理にのっとって、また来世に新たな生を受けます。ぐるぐると車輪のように廻る、それが輪廻転生とカルマの関係です。
そして、この車輪の輪から解脱するための、カルマの解消。つまり、悩みや挫折、身に起こる不幸など、与えられた苦しみを乗り越えていくこと、これこそが使命を果たすということなんです。言い換えれば、自分の魂の洗浄こそが、私たち人間の生きる意味と言えるのです。
具体的な例でお話ししてみましょう。
以前、ある女性が心に闇を抱えてわたしの元にいらっしゃいました。彼女は結婚後にパニック症状を患ってから、長い期間が経とうとしていました。当初は病院以外で外に出ることもなく、生きる意味を見い出せず、空虚な気持ちを抱えて生活をしていました。また、その気持ちから逃れるため、昼に起きてはコンビニ弁当で食事を済まし、ゲームをする。寝るのは朝方で、働きに出るどころか夫の世話もしない、人間性の欠片もない生活だったといいます。
そんな生活を数年したあと、ある転機が彼女に訪れます。それは赤ちゃんを授かり、さらに生もうと自分から決心できたときだといいます。このことをきっかけに、それまで飲んでいた薬を止め、まだ具合が悪いなりにも、夫とともに外へ出ることができるようになりました。
そこからまた平坦ではない道が続くのですが、第二子、第三子と子どもを授かっていくうちに、毎日が忙しくストレスがたまりながらも、幸せであると思えることがふえてきたそうです。「子どもたちの存在のおかげで、病気も快方へと向かっている」と、彼女自身も自覚しているのですが、それでもまだ心の中に自分では支えきれない問題を抱えているといいます。
それは、子どもたちにちゃんと愛情を表現することができないということ。もちろん、子どもたちへの愛情も感謝の気持ちもあるのですが、毎日が同じことのくり返しでイライラが収まらず……。そして、最近ではまた発作が起きるようになってしまったといいます。
一見、この方は自分で決心して薬をやめ、まともな生活を取り戻した強い女性のようにみえます。でも、本当にそうなのでしょうか。実は意外と打たれ弱いところがあるのではないでしょうか。パニック症状を患ったのも、過去における対人関係になんらかのトラブルがあったはずです。ご本人を含め、周りの人は彼女が突然パニック症状になったと思っているかもしれませんが、過去の対人関係によるトラウマがずっと心の奥底に残っていて、それが表面化したように思います。
自堕落な生活を送っていたときに、「旦那はよく私との生活を続けられるな」と思っていたと彼女は言いますが、赤ちゃんができたということからも、ふたりには信頼関係があったことがわかります。つまり、この女性には心の拠り所があったのですね。
また、お腹に新しい命を宿すことによって、自分を信じる人間がこの世にいると実感できるようになり、病状も快方に向かっているのだと思います。つまり、ご家族の存在が彼女を支え、大いに助けているのです。
それでもなお、不安やストレスに苛まれるというのは、もしかしたら彼女が物事に慎重すぎることが原因なのかもしれません。本当はもっと明るい性格をしているのですが、あまりにも考え過ぎることによって、結局、自分で自分を檻に閉じ込めてしまっているのではないでしょうか。不器用なあまり、周りに気を使いすぎて、そこで本来の自分の姿との間にギャップが生じ、バランスが取れずに苦しんでいるように見えたのです。
こういった場面で私がみなさんにお伝えしたいのは、いい人間、もしくはいい妻、いい母を無理に演じる必要があるのでしょうか? ということです。そんなことをしなくても、人にはそれぞれ良さというものが十分にあるはずです。
でも、彼女の場合、病気のこともあり、イライラが収まらず、つい子どもたちに口うるさく叱ったりしてしまっているようです。愛情表現が上手くできないというのは、不器用さがでている表れでもありますが、厳しい見方をすれば、彼女にはどこか逃げているところがあるのではないでしょうか。拙著『神様が伝えたいこと』は主に親子の関係について書き、そのなかでも、やはり子どもには親の愛情を言葉で直接伝えてあげなければいけないと述べております。子育ての経験がある方はご理解していただきやすいと思いますが、「あなたたちがいるおかげで、お母さんは幸せなのよ」とか、感謝の気持ちを子どもや伴侶にかけると、それだけで心が澄み渡り、より幸福感が強くなるものです。
少し厳しい言い方になりますが、彼女は自分自身の欠点をわかっていたのですが、そこに向き合うのがつらくて、逃げ出してしまっている状態でした。でもこれは決して責められるようなことではありません。人間誰しも、どうしても受け入れることができないときがあって当然です。けれど、大事なことからはいつまでも逃げ続けないこと。どこかで心に決めて、欠点に正面から向かっていく必要があります。そして、いずれはこの欠点を直していく。これこそがカルマの解消であり、心の洗浄、ひいては生きる目的だといえるのです。
人の使命は、人それぞれすべてが違います。ある人は仕事にその使命があり、またある人は絡まってしまった家族関係を解きほぐすことにあったり……etc.
形は色々ですが、そこに貴賎はありません。人にはできないことをしているから高尚なわけではなく、与えられた使命をきっちりとこなすことが高尚なのです。とはいえ、使命を果たすということは並大抵のことでは達成できません。それが、前世から繋がるカルマがカルマたる所以でもあるのですが……。
かくいう私も、今でこそこうして授かったご利益で、世のため人のために尽くすという使命を受け入れて努力しておりますが、過去にこのご利益を捨てようとしたことがありました。ご存知の方も多いかと思いますが、私の母も同じようにご利益を授かっており、人々と神様の間でお役目を果たしておりました。私が「ご利益なんていらない」と言ったとき、とても困って、悲しそうな表情をしていたことが思い出されます。今では多くの人の苦しみを和らぎ、少しでも幸せな道へと導くことが、私に課された使命なのだと心に刻んでおります。
輪廻転生によって、誰しもがこの世にカルマを背負って生まれてきます。生きる意味とは、そのカルマを解消する、言い換えれば使命を果たすことにあります。ですからみなさんも恐れず、驕らず、己が人生を受け入れて、欠点を直し、人のためになるように努力をし、幸せな人生を歩んでほしいと思っております。
今回のお話はここまです。ぐるぐると巡る内容でしたので、少しわかりづらかったかもしれません。ゆっくりと焦らずでかまいませんので、これを機会に自分の使命というものをみなさんも考えてみてはいかがでしょうか。
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