今回は『人生の選択』をテーマにお話ししたいと思います。「何やら仰々しい話だぞ」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、実は私たちは日々、この“ 選択”を行っています。だいたいこの選択は無意識のうちに行われていますが、それ自体は悪いことではありませんし、至極当然なことです。ですが、この“選択”しているという事実を意識するだけで、私たちの未来は少し変わったものとなります。少し大げさにいえば、“運命”を変えていくことだってできるのです。
みなさんは“運命”と聞いて、どんな印象を持たれますか?
「運命は定められており、逆らうことはできない」という考えもあれば、「運命は自分で選ぶことも、変えることも可能だ」と捉える方もいらっしゃいます。多少、異なった考えもあるでしょうが、概ねはこのふたつに分けることができるのではないでしょうか。
まず、話を進める前に念頭においていただきたいのが、人の一生(輪廻転生)の中にはカルマが存在し、そのカルマは私たちの努力次第で解消することが可能だということです。
では、“運命”は不変なのか否か。色々な考え方があることは承知しておりますが、私は運命は自分自身で変えることができると考えています。ただし、それはまったくの新しい運命を手に入れるということを意味するわけではありません。これまで歩んできた道と同じ方向性の中で、いくつかの選択肢が用意されているという言い方が正確です。
なぜ、一定方向への選択肢に限られるのかと申しますと、それは先ほどあげましたカルマがあるためです。人は前世から繋がるカルマによって現世に生れ、家族や友人、恋人などに出会います。また、その過程の中でさまざまな体験をし、日々を過ごしていきます。
例えば、これまで野球ばかりをしてきた人がいたとします。でも、怪我やその他さまざまな理由で野球の道を断念したとき、急に科学者になりたいと思っても実現させることは困難を伴います。それまで培ってきた経験があってこそ新しい門戸が開くのであって、まったく関係のない方向へと進むにはそれなりの準備期間が必要となるのです。言い換えれば、これまでどう生きてきたかが、今後の自分の道を定めるのです。つまり、この「どう生きてきたか」が、自分自身の“選択”してきた方向性なのです。
また、多くの方から相談を受けておりますと、時折、「運命だから仕方ないんですよね……」と、どこか投げやりに仰る方がいらっしゃいます。確かに、人間が生きていくうえでは、どうしても避けることができない出来事ですとか、不可抗力のつらい状況に出くわすことがあります。ずっといいことだけしか起きない人生などはありません。山があったり、谷があったりするのが、当然なことですよね。でも、人が不幸を感じる最大の要素である人間関係のもつれなどは、たいていの場合、運命など前世的・カルマ的な理由などではなく、己自身が“選択”した結果であることがほとんどなのです。
例えば、これを子どもの学校での人間関係で考えてみましょう。ある少年は同級生の子どもたちとうまくコミュニケーションをとることができず、クラスの中で孤立してしまっていたとします。彼はそんな状況を変えようとアクションをおこすのですが、それがまた問題行動として受け取られてしまい、さらに孤独を深めてしまう。こういったケースは非常に多いです。
多くの場合、こういった状況になると「なんで私ばかりが……」とか、「いじめられている……」と腹が立つものです。実際にどんな理由があろうとも、仲間外れにしたり、いじめたりするということは許されるものではありません。それは非難されてしかるべきですが、火のないところに煙は立たぬというように、人間関係のもつれは性格の欠点に起因することが多いのが現実です。例えば、我がままであるとか、裏表が激しいとか。不誠実であったり、自分の意見を曲げることができない、人の身になって考えることができないなど……etc.
みなさんも誰かに嫌われてしまった経験や友達と仲違いをしてしまったことがあると思うのですが、いま自分の胸に手を当てて考えてみると、「あれは私が悪かったな」っと思うことのひとつやふたつはあるのではないでしょうか。
このような己自身の性格の欠点というものは、なかなか自力で気がつくことができません。育ってきた環境や長年に積み重ねて染みついてきたものですから、発見すること自体が難しく、人に指摘されたとしても素直に受け入れるには痛みが伴います。でも、そこで踏ん張って自分の欠点を認めて直すことができれば、その先の未来が変わっていきます。気づかず直さず欠点をそのままにして人とぶつかる生き方と、欠点を直して円満な人間関係を築いていく生き方。どちらがより幸せな人生かは、言わずとも知れていますよね。
このように自分の欠点に気づき直していくことが、人間関係を円滑に進め、幸せな人生を歩むための大きな足がかりとなるのですが、これを実践するためには必要なものがあります。勘の鋭い方はもうお分かりかもしれませんが、それは知識と常識です。いわゆる、“教養”と呼ばれるものです。教養がなければ、何が悪くて何が善なのかを正しく判断することができません。だからこそ、私はこれまでにも知識と常識が大切なのだと、口を酸っぱくしてお伝えしてきたのです。
また、教養が身につけば、正しい判断を下す力も向上します。冒頭でも申し上げました通り、人生とは〝選択〟の連続です。判断力が高まれば正しい選択をする可能性も高まりますので、自ずと物事はよい方向へと進んでいきます。言い換えれば、行く先々で現れる曲がり角を幸福な方へと導くことができるのです。
悪いことが起きるたびに運命だからと諦めてしまっては、何も解決することができません。もし、あなたがいま人間関係において不幸だと感じているのならば、その環境を作り出したのは自分自身の性格からくる欠点、つまり“選択”を誤ってしまったということが原因である場合がほとんどです。でも、私たち人間は学ぶことによって変わることができ、間違えてしまった道を正すことができるのです。
私のところを訪れる方の中には、相談をしに来ただけで現状が変わると思っている方もいらっしゃいますが、それは間違いです。お話の中で私がお伝えした言葉は、相談にこられた方が自分の力で変わるためのきっかけにしか過ぎません。あくまでも、運命を切り開いていくのは自分自身。行動を起こすのはほかでもない、自分自身しかできないのです。それを忘れないでいただきたいと思います。
また、たとえいま歩く道が自分の望む方向ではなかったとしても、そこで未来が途切れるわけではありません。新たな道には新たな選択肢が現れるものですから、最終的な形は違うものになるかもしれませんが、私たちは前に進むことができるのです。
運命を切り開くとか、人生の選択をすると聞くと、何やら重苦しくて大変なことだと思いがちです。しかし、「為せば成る」という言葉もありますように、決して実現不可能なことではありません。私たちは運命を変えることも、幸せな道を選択することもできるのです。それは、他人を変えるのでもなく、環境を思うようにコントロールするのでもなく、己自身を変えることによって、初めて自分の人生を自分の意志で“選択”することができるようになるのです。
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