連鎖は、人が見ていないところでも何気ない仕草などに現れます。
昔、母がこんな話をしてくれたことがありました。
それは知人宅での出来事です。母がふと台所のほうに目をやったところ、奥が見えた。すると、その家人は他の人が食べたお皿を洗わず、それにソバを入れて母に持ってきた。
前の人が食べた天ぷらの油がお皿の回りに残ったままで、母は「びっくりした」と驚いていました。そして、「あのようなことをする人には見えないけれど罪なことは決してすべきでない」と折りに触れて私に話してくれ、見えない罪を重ねる “おんじゃく” (方言でいい加減さ)を語ったものです。
誰もが、自分の気づかないところで、カルマゆえの人生と育った環境の悪い連鎖の心が出てしまっているのです。
悪い連鎖を断つには、人をよく見ることです。悪い人を見たら、自分と照らし合わせ、目を背けたいような人を見たら、自分のこともふり返って見ることが大切です。
そのように、人の姿をよく見ることで、自分が気づきにくい欠点に気づいていく必要があるわけで、「自分がしてほしくないことを人にしてはいけない」ということがとても大事なのではないかと思います。
「己の欲せざる所は人に施す勿かれ」
これは孔子が遺した言葉(論語)ですが、解説によると、孔子と弟子との間で次のようなやりとりがあったと言われています。
孔子が弟子の子貢に、「一生守ることができる徳目はないでしょうか?」と聞かれた時に、「其れ恕か。己の欲せざる所は人に施す勿かれ。(それは思いやりというものだ。自分がして欲しくないことを人にするべきではない)」と答えた。
また、孔子が弟子の仲弓から「仁とは何でしょうか?」と聞かれた時にも同様に答えた言葉、とされています。
つまり、
「自分がしてほしくないことを人にしてはいけない」
そして、
「自分がしてほしいことを人にもしてあげる」
これが、人としての思いやりであり、心と心を通い合わせる交流の基本となるのではないでしょうか。
例えば、家庭の中で日頃私が心がけていることの一つとして、台所用のふきんなどは常に専用の清潔なものを使用し、家族だけでなく、自分の傍にはいない来客の目に届かない部分でもできるだけ目を配り、「己の欲せざる所は人に施す勿かれ」と呪文のように言い聞かせます。
洗濯する時も、台所用のふきん専用の小型洗濯機でまとめて漂白し、洗濯しています。そうすることで、清潔さと共に、自分の心まで洗われる気持ちにもなります。
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