青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

“正しい知識” と “間違った知識”

ひと昔前までは、私たちの仕事とする霊能関係でも根拠のない感情論だけの知識がまかり通っていましたが、今や時代が変わり、科学技術の進歩や文化の発展と共に、非科学的な根拠のない感情的な知識は改められようとしています。

 

そうした進歩・発展と共に多くの知識を得ることができたのは、本当に素晴らしいことと感じます。

 

このような知識は「事実か否か?」といったことが割と簡単に判別することができるので、間違いを知ることで正しい情報に変えることができます。

 

しかし、“家の中” という家族だけが生活する中で、自分たちのその知識が “間違っていることにさえ気づけず”、また間違っているという自覚もないままに、連鎖として子どもに受け継がれていってしまうこともあります。

 

子どもが正しい知識を身につけるには、親がどういったことが正しい知識であるのかがわかっていないといけません。

 

豊かな知識を持つ経験をさせてあげるには、場合によっては “親心” はある意味で、我が子への親の愛情ゆえに偏り、 “障害” となってしまうことすらあるので、注意が必要です。

 

そこで大切なのが、「正しい知識とは何か?」。

 

私たちが記憶している知識の中には、“間違った知識” というものが潜んでいます。「家」という他人から見れば “閉じられた空間” では、外からの目が届きませんから、しばしば間違った知識が家の中で世代を超えてバトンタッチするが如く、連鎖してしまっていることがあるのです。

 

知識には良し悪しがあり、まずはその「情報」が「正しい」ことが大切です。間違った情報であれば、それは有益な知識にはなりません。

 

たとえば、家族や親類で悪口を言い合い、その人たちを笑っているうちに、他人事ゆえ、その話について深く考えようともせず、その場しのぎで終わってしまうのが世の常であり、“その人たちを助けよう” とか、そういった考えもなく通り過ぎていきます。

 

しかし、私たち人間は、老若男女問わず、対人関係で腹の立つことや許せないような出来事に遭遇することは誰でもあることかと思います。そんなとき、誰か身近にいる親、夫、妻、子供、友人などにそのことを話す場合、“あまりの腹立たしさ” などのため、ついつい話す内容を誇張したりすることがありますが、事実でないことまで話してしまったなら、大変なことが起きます。

 

“言葉がひとり歩き” を始めるのです。

 

人間とは、「内緒にして!」と言われるほど、第三者に話したくなるのが一般的です。

 

①聞いた人が、他人事ゆえに事実か否かも深く考えもせず、むしろ興味半分も含め、次の人に話します。

 

②すると、それを聞いた人も話を深くも考えず次の人へ……。

 

恐ろしいほどに話に真実味を加えながら、ひとり歩きする言葉が、罪なことにさらに拍車をかけ、三味線で囃し立てるが如く、恐ろしい速さで伝わっていきます。

 

そして、

 

「えー! あの人、そんな悪い人だったの!? 恐ろしいわ!」

 

と信じ込んでしまう人も当然出てきます。

 

あることないこと、話がどんどん広まっていくのを、そもそもが作り話だったので知らない素振りをしても、「連鎖の罪」が聞き耳を立てて、その人の罪をしっかりと記録している姿を想像すると、人の悪口を自重していかなければ__と、思うのではないでしょうか。

 

“自分さえ” よければ__。

 

“自分さえ” 守れるのなら嘘だって__。

 

そう思うのもその人の生き方であり、ねじ伏せて理解させるわけにはいきません。自分で理解し、直そうとしなければ、決してカルマや連鎖は断ち切れるものではありません……。

 

私の失敗した経験を、恥を承知で述べてみます。

 

いくら日々、神様と接しているとはいえ、私も感情のある人間です。

 

ある日のことでした。まったく想像もつかないような嘘を言われ、家族まで困ることがありました。私は何が起きたのか……覚えもないことでもあり、理解できませんでした。

 

私は無念の意識があまりにも強すぎて、主人に “ほんの少しだけ”、話をオーバーにして話してしまいました。その “ほんの少し” でも神様は私を許さず、その数日後、ある出来事(こちらは複雑すぎることなのでここには書かずにおきますが)が起きたのです。

 

私はすぐに自分の “ほんの少しだけ” 話をオーバーにして話した罪に気づきましたが、私の心の中には、「私の何十倍も、とんでもない嘘を話している人がほかにもいるのに……いくらなんでも割に合わないんじゃないの?」と神様への不満がありましたが、ゆっくりと考えました。

 

大嘘をつくのは “それだけの人” ということであり、私は “神に鍛え抜かれた人”。それならば、神様は何か目的があってのことか?

 

その目的とは、私への “次なる幸せ” のためのことであり、その神様が求めてくれた “私の幸せ” のためには、ほんの少しでも過ちを犯すことを許さなかったのです。そして、やがて神様の目標通りの出来事と出会うことになったのです。

 

神様が指摘される “注意” は、私たちの幸せの達成のためでもあります。神様や仏様は我が子を “幸せにしたいため”、“守りたいため” に、何かの形で注意をうながすことがあります。神仏のそうした「守りたい!」という意志に気づき、欠点を直さなければいけないのです。

 

人間の “ありもしない嘘” や、人を「陥れる言動」がカルマを作ります。

 

血縁(親類、親、きょうだい)の人たちと同じ “欠点が自分の性質のどこかに表れている” ことに気づいているでしょうか?

 

親きょうだいや親戚の人たちが血縁者の悪口を言って “笑ったり”、“見下したり”、“言いふらしたり” などの欠点のひとつふたつが “あなたにも連鎖している” ことに、気づいているでしょうか? まるで、自分自身の欠点を笑っているのと同じなのに……。

 

親類縁者が助け合うことよりも、「事あらば笑おう」「事あらば失敗してほしい」などと思ってしまう人は、それこそ代々、性質の一部として “隠れていた連鎖” のまっ只中にいるということです。

 

「時来たれば我が身を食う」

 

この恐ろしい言葉が、どのような形となり、人を襲うことか。

 

しっかりと連鎖を考えて、“今まで気づかなかった連鎖” “見えなかった連鎖”、“代々、親も断ち切れなかった連載”に気づき、あなたご自身の心で断ち切り、大切な我が子や、我が孫を守ってあげてほしいものです。

 

 

 

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