人生には、カルマを清算し、スピリットを成長させるためのシナリオがある。
それは自分の欠点、不足に気づいて直し、長所を活かして人の役に立つことを促すための課題であり、いわば魂の浄化と成長を促す宿題のようなものです。
宿題である以上、逃げられないし、それなりの困難さがともなうのは当然です。
しかし、それを乗り越えてみごとパスすれば、心(魂)が成長して、幸せに向けて新たな人生のシナリオを書き加えられる、ということです。
その意味で、人生には必ず陰と光の両面があるともいえるでしょう。
この世にまったく欠点がない人はおらず、多かれ少なかれ誰もが心の汚れ、罪というカルマを背負っているからこそ再びこの世に生まれてきています。
それゆえ、誰もが苦しみや悲しみに遭遇するわけで、善も悪もあるこの世の中で、心の葛藤や悩みがない人はいません。
たとえ聖人君子と呼ばれた人や、人から尊敬され、憧れられる立場にいるような人であっても、カルマを背負っているのは変わりなく、そのシナリオの中には必ずや陰と光の両面がある、それが人の世の常です。
その意味において、魂の世界から見ると、人はみな平等なのです。
例えば、生まれつき障害やハンディキャップがあるとか、あるいは親や家庭環境に恵まれなかった人であっても、その運命のシナリオは本人の魂が決めてきている以上、その道のりの中でその人なりに気づくべきこと、学び、成長すべきことがらがあるわけで、決して他人と比較して幸・不幸を論じることはできません。
避けられない運命のシナリオは、スピリットを成長させるための課題であり、自分の魂が望み、納得済みで決めてきたこと。それゆえに、自己責任がともなうのです。
いい換えれば、この世に生を受けた人はみな、新たな人生というやり直しのチャンスが与えられていて、そのシナリオの中には魂を成長させる種が蒔かれている、ということです。
運命のシナリオにそって生きていく中で、カルマを共有する魂の仲間たちと出会いながら、それぞれの関係、交流を通して自分の短所を改めて長所を活かすよう、心の種にしっかりと栄養と光を与えることによってりっぱな実をみのらしていく、それが生きる意味であり、人生の目的です。
それゆえ、思ったようにならない、辛いからと、自分の運命を変えようとして、荒行をして超能力を身につけようとしてみたり、高額なお金を払って他人になんとかしてもらおうとしても無駄です。
能力者と称する人間に頼ったり、占い師のいうことになんでも従順に従ったり、どんなに熱心に神仏を拝み、崇めようとも、自分のカルマ(種)は自分で刈り取るしかないからです。
自らの欠点、不足は、誰かが穴埋めしてくれたり、決して自然に消えてなくなるものではなく、あくまでも自分で気づいて直していくしかありません。
そのように覚悟を決めたとき、運命のシナリオを素直に受け入れることができ、困難な状況に出会っても、そこでめげることなく前向きに生きられるようになります。
自分の醜さや弱さに打ち克って、困難な課題を克服していく、それこそが人としてあるべき姿です。
悪しきカルマである欠点、不足を直すために正しい理解力や判断力を養い、よいカルマとしての才能や長所を伸ばすことで人と和し、社会の役に立つ。
そのようにして、人としてあるべき姿に一歩でも近づいていく__あなたの運命のシナリオは、そのためにこそ用意されているのです。
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