突然の事故や病気による急死など、家族や周囲の人達が思いもよらない形で、人が亡くなる場合も、やはりそれはその人の運命、寿命だったといえます。
例えば、親子喧嘩をした後、息子さんが家を飛び出してバイクに乗って出かけた直後に、大型ダンプカーに衝突して即死してしまった。
「ちょっと台風の様子を見に行く」と外に出たご主人が、増水した川に流されて亡くなってしまった。
そんなとき、残された家族は、「私が◯◯してあげればあんなことにはならなかった……」「もし、あのとき、私が◯◯しなかったら……」と思うかもしれません。
しかし、結果的にそうなってしまったのは、それが本人のカルマであり、同時に残された家族のカルマでもあるということなのです。
カルマが本人をそのような運命に導いていて、いくら家族であってもそれをくい止められないことがあるのです。
病気にしても、本人が若ければ若いほど家族は何とか助けてあげたいと望みますが、年齢に関わらず、カルマゆえに短命で亡くなる場合もあります。
要するに、若くして亡くなってしまったのも修行、残された親や家族も修行。いつまでも後悔したり、嘆き続けるのではなく、その修業の中でそれぞれが心を磨き、前を向いてスピリットを向上させていくしかないのです。
とはいえ、何でもかんでも運命のせいにして諦めたり、自助努力を怠っては何にもなりません。自分で気づいて改められることもたくさんあります。
また、気づかなくてはならないことを親が気づけないがため、子どもに教えることができず、そのため、将来子どもが路頭に迷ったり、精神バランスを崩してしまうこともあります。
ここで一つだけ例をあげます。
中学のときに不登校になったお子さんを、海外に留学させたという親御さんが相談に来られました。親御さんは「せっかく留学させて日本に帰ってきたのに、いまだに就職が決まらない」と嘆きます。
でもそれは、日本の学校で対人関係がうまくいかなかったために学校に行けなくなったので海外に行かせただけのことであり、何の問題解決にもなっていないのです。
その不登校の原因の意味さえ親は把握できずに、さらに、「留学から帰ってきたのに就職できない」というのは、不登校の時点でその原因に気づかず、欠点を直さずにいて、後になって苦しみが起きたのです。
これは、「新たな心配事」ではなく、「初めに直さないがために、引き続いた心配」であり、「最初の心配事」の時点で気づかないのが原因でした。何も問題解決になっていないのです。うわべは留学で多少英語を覚えてきても、人との交流ができず、心は登校拒否のままの状態で、帰国してからも人とのコミュニケーションがうまくできないために、職に就けないでいるのです。
「留学してきたといいますが、お子さんは、人とうまく交流ができないから仕事に就けないのですよ」
そう親御さんにいいましたが、「いや、でも……海外での生活をし、他の子よりは……」と納得されない。なんと寂しい心の親なのでしょうか。
子どもは親の心を映し出す鏡です。それに気づけば、幸せな心になれるはずの親が……。
心の中で、その人を見つめながら胸がいっぱいになり、涙を飲み込むしかありませんでした。
気づかなければいけないことにさえ気づかないでいるスピリットのなんと悲しいことか……
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