「神を守るとは、自分が大切に思っている神仏に、周りの神仏に対し、“恥ずかしい思い” をさせないこと」です。
それは、人が嫌がることや困ること、人を貶めるようなことをせず、保身のために嘘をついたり、我を通したり、人を妬んだり羨んだりしないこと。
そして、いつも心(魂)の声に正直であることです。
間違いに気づいたら、すぐ反省することです。
宗教など、神仏を信仰する人たちが、いくら荒行をしても、どれほど声高らかに経を何十万回唱えても、それだけではまったく無意味です。
経の意味をしっかり理解し、それを日々の生活や人との交流の中で自分自身が実行しなければ、上辺だけのことになります。
以前、Tさんという女性が、「知り合いの熱心な宗教信者の人(仮にMさんとします)から、激しい嫉妬からの嫌がらせを受けて困っている」と相談に来られたことがありました。
そのMさんは、人助けをしているTさんがとても人望があるのを知って、自分は何十年もの間宗教に携わり、朝から晩まで人が真似をできないくらい行をして、しかもたくさんの人をその宗派に勧誘してきたのに、「Tさんのように人から評価もされないし、家庭も周りも不幸がなくならない」と、その苛立ちをTさんにぶつけてきたのです。
ご主人の給料も、その団体に湯水の如くつぎ込むほどの熱の入れようで、周囲の人たちに、「罪があるからそうなった。私のように信仰すればきっと救われる!」と言って回っていたMさん。
ところが、勧誘先で、「あの野菜を少しほしい。あの干し魚が夜のおかずにほしい」とねだって、本来支払うべきお金を支払わず、宗教に回すために毎日せっせと貯金箱に入れる。周囲の人たちはそのようなMさんの行動を嫌っていたものの、本人は「神に尽くしている!」という気持ちがとても強かった。
それゆえに、人望のあるTさんへの妬みが生じたようです。
「こんなにも信仰心が深い私がなぜ人から敬われないのか。それに対して、何の行もやっていないTが、なぜ人から尊敬されているのか? 絶対に許せない」と。
このような汚れた心で人を貶めようと念じるほど、魔が入り込むことになります。
どんなに熱心に信仰していようが、行を積もうが、自分の穢れた心を改めない限り、心の中に魔物を呼び込んでしまいます。
この女性(Mさん)の場合は、自分の信じる神が第一で、「人への配慮はどうでもいい!」という考えであり、この愚かな考えが心の中に深く巣くっているのです。
もしもあなたが神仏の立場なら、「他は野となれ、山となれの感覚で、神である自分だけに手を合わせる人間」を選びますか?
我欲ゆえに、人に嫌われ、人の心を傷つけても「自分だけを信仰する人間」を選ぶでしょうか?
もしも、そんな神がいたとしたなら、私だったらそのような神を許せない心境になります。
神々は、すべての心理や行いを見て、心の内まで知り尽くしています。
ですから、いくら表面でつくろってみても、どんな隠しだてもできません。
神との関わりにおいては、親に対する気持ちと同じで、子どもとしてできる範囲の行動を素直に示すのが一番と思います。
神をわが親と考えるならば、
「親に恥ずかしい思いをさせない」のが子どもの務めであり、親から見れば、
自分の子どもがもし、「親に恥ずかしい思いをさせてしまうようなこと」を続けていれば、
わが子が愚かすぎる行動を続ければ、相手にも守る神仏がいるゆえ、神々同志のエチケットがあり、
自分に手を合わせての頼み事に対して、守ってやりたくても守りきれない、ということです。
子ども(人間)がその愚かな行動や心を入れ替えない限り__。
また、「相手にも守る神がいる」ということは、どんなに自分が一生懸命信仰する神であっても、わが子が、相手の神の子(人間)を罪もないのに憎んだり妬んだり、相手の神々の困るような、信用失墜させる言葉を言ったりなど、節度のない、度が過ぎることをすると、いくら大切なわが子(手を合わせてくれる人間)に対してでも、「人間の親が、悪事が過ぎるわが子を厳しく叱るように、神からのお叱りを受けることもある」
しかし、神とは、とても気が長いもの。
人間のように短気ではないため、
できるだけ、わが子が気づくのを待っている__
相談者の中にそのような姿もよく見ます。
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