運命のシナリオは、磁石のように引き合い、深い関係を生じさせます。
関係があるからこそ、この両親から生まれてきた。
関係があるからこそ、この人と出会い、結ばれた。
関係があるからこそ、この職場に入り、成すべき仕事を与えられた。
関係があるからこそ、時に困難な状況にも直面するのです。
その関係を自分からよりよい方向、光の方に向けていくことで、幸せのシナリオが新たに書き加えられていきます。
これは、植物の種が発芽し、たくましく成長していく様とも似ています。
時折、アスファルトの隙間から雑草が顔を出している姿を見かけますが、その生命力の強さには驚かされます。
草の種は、風や雨によってその場所に落ちて根をつけ、その土地のわずかな養分や水分を吸収し、光を受けて自分で養分をつくりながら芽を成長させていきます。
その土地の土壌の状態や気象条件などによって発芽できるかどうか、成長できるかどうかが大きく左右されるわけですが、その場にしっかり根を張って厳しい現実を受け入れながら、太陽の光が射す方向に向って命を削ってきたからこそ、アスファルトという厚い壁を打ち破ってそこから芽を出すことができたのです。
これは、人間が成長していく過程とよく似ていると思いませんか?
要するに、その場、その場で出会った人たちとの関係をあわせ鏡のようにして、自分自身を磨くことによって身につくものがある。それは心が養われるということです。
見失ってはいけない光は、人としてあるべき姿、道(道理)です。
人生の追い風や向かい風が吹きつける中、自分の心が動く対象、それがどんな相手であっても、また衝撃的な出来事であったとしても、心動かされるものはみな、何かしら自分と関係があり、それがさまざまな形で魂の洗浄と成長の肥やしとなるのです。
とりわけ、共通のカルマを持つ、縁ある人との出会いは心を大きく揺さぶります。
それは必ずしも、親密で良好な関係、助け合える関係だけに限りません。
よきライバルのような関係や、時に傷ついたり傷つけられたり、あるいはまた、やっとの思いで結ばれても別れざるを得なかったり、心が引き裂かれるような無念の別れを経験せざるを得ないような場合もあります。
しかし、それもこれも魂のシナリオにそった約束事。
そのような経験を経ることで、カルマの貸し借りという清算をしたり、お互いの魂を成長させることを決めてきたのです。
ただここで注意していただきたいことは、「シナリオ通りであれば何も考える必要はない」と考えるのではなく、あくまでシナリオを通して自分の魂を洗浄する、すなわち、欠点に気づいて直していくことが大切で、そこにまた新たな人間との関わりが生まれ、ワンランク上の魂へと向上することができるということも忘れてはいけません。
また、その自分自身の魂の浄化により、ワンランク向上していくことによって、子孫のみならず、カルマゆえに成し遂げられないままあの世へ旅立った先祖まで浄化されていくのです。
なぜならば、親が一般常識について教えられないがために子供が苦しみ、その子もまた教えられないゆえに苦しむ……そんな無知、知識不足の連鎖が起きてしまうわけですから、それをくい止めるためには、何よりも自分自身の魂の浄化が求められるのです。
これは一つひとつの家族、家庭にはそれぞれの「文化」が成立していて、その文化の影響ゆえになかなか考え方やカルマも変えられず、教える立場の親も知らないでいるがゆえにわが子に対してそれを教えることができなかった、ということです。
つまり、「伝達できない文化」の中で代々生活してきたことに気づかない、しかし実はそれこそが大きな知識不足の原因であり、大きな間違いがあったわけです。
親も本人も子供も気づいていない「家庭の文化」に潜んでいる偏った知識、知識不足__それを私たちは今まで「先祖のせい」にしていたのではないでしょうか。
「運命が丸裸になる」と、
驚きの声、声、声!!
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