青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

驕りは身を滅ぼす

 我こそは 誰よりもできると 疑わず プライドだけの 根なし草かな

 

 この詩の意味するところは、「驕る平家は久しからず」という諺通り、自分の地位や才能などを理由に傲慢になって、思いあがった行いをしていると、やがては身を滅ぼす結果になる、ということです。

 

 人間は、他人よりも秀でた才能があったり、社会的地位を手に入れたりすると、つい過信し、傲慢になってしまうことがあります。

 

 しかし、才能があればあるほど、また社会的地位が高ければ高いほど、謙虚さが必要で、謙虚さがないと、人を見下したり、周囲の人たちからの忠告にも耳をかさなくなってしまい、やがては裸の王様となってしまいます。

 

 拝殿の前でも、自分の姿が裸の王様のような状況にあることに気づかずに、「自分は他の人よりも優れている」「自分はすばらしい」「他の人たちが劣っている」「あの人もこの人もしょうがない」などという愚かな態度、言動をやめようとはしない人がたくさんいます。

 

 その姿は、まるで根なし草のようです。頭でっかちで、地に足が着いておらず、独りだけ浮いている、自己中心的な性格、行動そのものです。

 

 たとえ、才能や社会的地位があったとしても、長い人生の中では浮き沈みがあり、良いときも悪いときもあって、瓢箪のように変化していくものです。

 

 大事なのは、上り坂よりも、うまくいかない下り坂や、思いもよらない「まさか」のときにこそ、人としてどのように正しく生きられるか、です。

 

 傲慢で高飛車な性格のままでは、自分の思い通りにいかない事態に遭遇すると、周囲の人のせいにして、決して自分を省みることはできないまま、さらなる不幸を招いてしまいます。

 

 「他人なんて関係ない」「うまくいかないのは◯◯のせいだ」「手助けは必要ない」「自分は誰の世話にもならない」などと、考えてしまうことがあります。自己本位な考えで生きていると、いざ困ったときに、誰も助けてはくれないから、「人の世は人によって助けられる」のです。

 

 自分は一人で生きているんだ、というのは大間違いで、傲慢な思いあがりです。

 

 人は、人によって支えられ、助けられるのです。

 

 誰もが、人との交流の中で、喜び、楽しみ、悲しみ、苦しみ、そういった感情を共有しながら、他者との関わりの中で自分の性格を見つめ、短所を改めていけるのです。

 

 まして、自分と同じようなカルマ、運命を背負っているグループは、一緒に心の修行をしている最も身近な仲間であり、同志的な魂である場合もあるのです。

 

 だからこそ、共に支えあい、学びながら、お互いに成長していけるように、謙虚さを失わず、相手を尊重する心を持ち続けることが何より大事です。

 

 そうすれば、それぞれのペースで、いつか必ず幸せという山頂に辿り着けるのです。

 

 

 

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